生態
津軽錦は背びれがなく尾びれが長く幅が大きく頭部の肉瘤はほとんど出ません。しかし津軽錦には他の品種にはない特徴を持ち合わせている金魚です。今回は、津軽錦の特徴と飼い方を詳しく説明していきたいと思います。
津軽錦は、背びれがなく尾びれが長く幅が大きく、体型は秋錦に似ています。しかし、秋錦と違い頭部の肉瘤はほとんど出ません。そして、体色は他の種類の金魚に比べて、褪色(体が赤くなること)が遅いという特徴があり専門店などから購入する際は赤くないこともあります。また、腹ビレの辺りが金色に光るという特徴も持ち合わせおり大人になった個体は他の品種には美しい色を放ってくれます。
津軽錦は、その名からわかるように青森県津軽地方で生まれた地金魚です。その発祥は、江戸時代(1770年代)に津軽藩で飼育されていた「金魚ネブタ」がモデルであると言われています。当時は、津軽藩に属していた武士のみが飼育することを許されていた金魚でした。その後、庶民にも地金魚として知られるようになり広く浸透していきましたが、品種をかろうじて保存できるほどの規模しかありませんでした。それから時が経って、大正時代の中〜末期に一時期盛り上がりました。昭和2年には弘前博覧会(ひろさきはくらんかい)に三笠宮崇仁親王(三笠宮殿下)がお目になられた際に弘前観魚協会により「津軽錦」と名前がつけられた。1935年(昭和10年)に松井佳一博士が世の中に「津軽錦」という品種を発表したことで広く知られました。当時、地元では津軽錦が珍しい金魚だということを知らなかったので驚く人が多かったそうです。その後、1948年(昭和23年)に青森県は津軽錦の数を増やすために当時の県の職員である三輪薫さんと北海道大学水産学部に調査及び研究に頼みました。しかし、当時津軽錦は第二次世界大戦という情勢の混乱と相次いだ天変地異などにより数を著しく減少させていました。ですので、まず親魚を必死に探して青森県黒石市にメス2匹を見つけることができたのですが、それ以外には見つけることができませんでした。なので、1959年(昭和34年)から東錦やオランダ獅子頭等の他の品種との気が遠くなるような交配を積み重ねて1987年(昭和62年)に復元するに至りました。
津軽錦の楽しみ方は、ランチュウの系統と違い尾の幅がながい尾びれと他の品種に比べて非常に遅い時期に変化する体色です。それらを楽しむのであれば、水槽などで横から観賞する方法(横見)のほうがオススメです。横見で鑑賞することで、ランチュウ系統と特徴である背びれがない背中の美しさと長く伸びた尾びれの組み合わせを楽しむことができ、腹ビレ辺りが金色に光る特徴もしっかり楽しむことができます。上見で鑑賞すると、尾びれの幅がどのくらい長く美しく広がる姿を楽しむことができるので横見で楽しんだ後は、ぜひ上見でも楽しんでみてください。
他の金魚などと混泳させる際に何の種類が良くて何の種類が良くないのか不安になることがあります。まず、金魚全般に言えるのは他の種類と混泳するときにこれとこれは絶対にダメであるという禁止は存在しません。ですので、飼う金魚の性格や環境などによってはダメだと言われている種類同士でも仲良く生きていることもあります。ただ、金魚同士にも相性というものはあります。相性が悪い金魚同士を入れた場合に、すぐに喧嘩をしたり、または片方の金魚だけがエサを独占してしまう可能性が高くなります。なので、あまり相性が悪い金魚同士を入れるのは避けるべきではありますが、最初に説明したとおり金魚同士に禁止は存在しませんので、どうして混泳させてみたい方は混泳させても良いのかもしれません。では、蘭鋳と相性がいい金魚と相性が悪い金魚の説明をしていきます。
津軽錦と最も相性がいい金魚は、蘭鋳(ランチュウ)や江戸錦(エドニシキ)などのランチュウ型の金魚です。津軽錦は尾びれが長く美しい品種であるので、ランチュウ型の金魚と入れることで尾びれの違いや体色の変化を見比べることができるのでオススメです。
津軽錦は、地金魚の一種類であり一度絶滅の危機に瀕した金魚になります。津軽錦は、体色の褪色が遅い品種のため2〜3年しても褪色しない個体も多く、鉄色の下地に金色が乗ることで独特の体色を生み出してくれています。津軽錦の体色は、他の品種には少なく津軽錦が好きな人の中には体色を好まれる方も少なくありません。津軽錦は、現在に至るまでの経緯などにより流通量は非常に少なく飼育してみたい方や興味がある方は専門店に聞いてみることや、津軽錦の保存会や愛好会の方に聞いてみるのもいいと思います。
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